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台湾旅行記 はやぶさ突入音データ編 最終日

台湾最終日(平成22年8月24日)
朝の8時に電話が鳴った。フロントから。日本語と英語で説明があった。財布が見つかったそうだ。驚いた。警察署に届いてるそうだ。すぐ準備してタクシーを拾う。ドアボーイさんがタクシー呼んでくれた。広州警察署まで、15分ほど。残りの1000元札を持って、乗った。旅してるなあ。
タクシーの運転手さんの営業トークを聞き流しつつ、警察署に到着。玄関入ってすぐ右の窓口で手続き。フロントで聞いた番号とパスポートを掲示。すぐ財布は出てきた。中身の確認。大きな額の札は抜かれていた。3000元ほど。不思議なことに5千円札が2枚の千円札になって合計5千円になっていた。
またこの財布は帰ってきた。これは無くなる財布じゃなくて、無くなっても戻る財布だ。
多少の現金も2000元くらいあった。移民局前でタクシーを拾って、10時前にホテルに戻った。このタクシーはグレードが明らかに落ちてた。やっぱり会社によって違うんだなぁ。
まだホテルの朝食が取れたので、のんびりご飯。後は部屋で空港へのアクセスを確認してた。午後12時を過ぎてチェックアウト。
欧華酒店、大変お世話になりました。
普通ならフロントからタクシーで桃園空港へダイレクトらしいが、約1300元とかなり高いので、違うルートを探した。
国内線の松山空港が直近なので、タクシーでそこまで行き130元。空港間リムジンバスがあって、125元。
帰りはビジネスクラスなので、チェックインはそんなに慌てなくても大丈夫。
空港に着くとバスは第2ターミナル→第1ターミナルの順に止まる。成田行きは第2ターミナル。気をつけてはいたが、案の定降りそびれた。降り場なのか業務停車なのかわからなかったんだもの。
ターミナル間バスを待って、正式にチャイナエアへチェックイン。機材遅延で出発が40分遅れ。おやおや。

ビジネスクラスは初体験。窓際を希望したら、〇〇アップOK?と聞かれた。ビジネスクラス?と確認してOKと返事した。
搭乗の時わかった。2階に上げられた。おお、初ビジネスクラスで初2階。フライトアテンダントが何と自己紹介。そして名前を呼ばれた。
ドリンクの種類は豊富。機内食はコース料理。優雅な空の旅をご提案。紹興酒呑みまくり。酒の匂いが顰蹙だったかな?

そして帰国。リムジンバスで渋谷えなんとかホテルに行き、気が抜けてタクシー拾って帰還した。

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台湾旅行記 はやぶさ突入音データ編 3日目後編

つづき


時間は0時過ぎくらい。出店も撤収し始めたので帰ることにした。疲れたので、電車で一駅だが駅から歩くのと、排骨等つまみの匂いがあったので、タクることにした。台湾のタクシーは安いのだ。
旅行中はGPSが便利なので、いつも携帯している。迷う心配がなくどこにでも行けるから、道を覚えることもできた。何度かの大通りで、駅前の広場に出た。そこで客待ちのテクシーに乗った。
ここでアクシデントがあったのだが。

このタクシーはシートが革張りでリアシートにカーテンが付いていた。ドライバーは若い兄さんで愛想はない。車内は清潔。おみやげの匂いが車内に充満してきたので(笑)、慌てて袋の口を縛った。
ホテル名を告げて、走りだす。台湾に着いてからやってることだが、タクシーに乗る時はこっそりGPSで走行位置を確認しながら景色を楽しんでいる。まあ、日本でも頻繁にやられる遠回り防止の意味もあるんだけど。
士林夜市からまっすぐホテルに着いた。心配無用だった。メーターが95元だったので、尻ポケットから左手に持ち替えた財布の中の100元札を取り出した。
すると、ドライバーが「イーイーウー」と告げてきた。115?ああ、115元か。すると深夜割増20元か?メーターに加算されないんだな。
ここで慌てた。
屋台でたくさん買い物をしたから、小銭が右ポケットに沢山入っていた。2枚の10元玉を取り出そうとするけど、なかなか出てこない。そして両手を使った。左手の財布をシートに置いた。
深夜なのにホテルのドアマンがこちらにやってくる。やっと小銭が出てきて、ドライバーに渡し5元玉を受け取ると謝謝と言っておみやげを持ち、急いでタクシーを降りた。
おみやげで一杯やろうと考えてたので、ドアマンに隣のコンビニに行くことを伝えて隣のファミマに入る。ビールを品定めして尻ポケットの財布に手をやると、財布じゃなくてお尻に手があたった。
「?」

あ。

こういう時に限って、タクシーのレシートも車台番号も見てないのよね。慌ててホテルに戻り、丁度フロントで工事の打ち合わせをしていたコンシェルジュに相談した。彼は日本語が話せない。
話せるスタッフは明日の朝9時に来るという。しかし、英語だが親身に話を聞いてくれた。自分の英語理解力がないので同じ質問を何度もしてしまったが、聞いてくれた。
翌日に帰国する旨を告げる。とにかく警察に届けられるのを待つしか無いとのこと。コンシェルジュから警察に届け出てくれるという。助かります。
財布の詳細とタクシーの特徴を伝え、部屋に戻ろうとするが、今度はルームキーがない。いやコレは必ずあるはず。だが出てこない。すかさずサービスマンが合鍵で部屋を開けてくれた。
ひとまず、部屋で心底がっかりして、ルームキーを探した。カバンの底に沈んでいた。

さて、文無しになってしまった…。訳ではない。
こんなこともあろうかと!
いやいや、虫の知らせか、実は夜市に出掛ける時に。なぜかこの時に限って、財布の中身を分けておいていた。
ホテルから桃園空港へ必要な2000元と日本円。免許証、クレジットカードは一枚を除いて財布から取り出し、部屋の金庫に仕舞っておいていた。
実損害は、現地通貨5000元とお守り替わりの宝くじ当選金千円札3枚、5千円札1枚。VISAカード一枚。

ひとしきりのがっかりの後、各方面に連絡して怒られた。そりゃそうだ、この財布はオーストラリアで2度無くしている。もちろん日本でも何回も忘れ物している。
それから国際電話でVISAカード失効手続きして、虎の子1000元札を持ってビールを買いにでかけた。フロントにルームキーがあった旨を伝えた。
コンシェルジュが女性旅行客が話し込んでいた。揉め事らしい。ご苦労様です。翌日は北投温泉に行こうと思っていたが、そんなバヤイではない。
その後は部屋に帰ってビールを飲んで土産をつまんで風呂に入って明け方近くに寝た。

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台湾旅行記 はやぶさ突入音データ編 3日目前編

台湾3日目(平成22年8月23日)
起床。朝食が10:00まで。その頃に起きた。朝食はパス。あとで丸林食堂探索にリトライしよう。夕べ調べきれなかった情報を取り込んで、13:00過ぎにホテルを出発。
一人旅なんてこんなもんだ。

同じ区画にある丸林食堂はガイドブックに載るほどの人気店。前回は逆方向の区画を歩いてたのでロストしてた。この時間帯は月曜日の午後とあって空いていた。
注文方法や支払い方法がさっぱりわからなかったが、セルフ式と情報はあったので、日本と同じように振舞ってみた。お店のおばちゃんも慣れたもので、日本語でそつなくオーダーを取ってくれる。
最初にトレーを持って料理を指さす。そのままルーロウハンを大盛りで注文して、テーブルに付く。あ、テーブルに日本語メニューがあった。ルーロウハンが運ばれてきた。
スープは?と聞かれたが、余りスープを飲む習慣がないので不要と答えた。そのかわりマンゴージュースをオーダーした。
注文したもの。・ルーロウハン大盛り・豚の角煮・青菜炒め・エビとグリーンピース煮・揚げた白身魚。
どれも美味かった。食い過ぎだったけど、今日は長丁場、丁度良かった。レジで会計して、外に出た。

そのまま西進して左折、大同大学のある通りを台北駅に向かって南下。駅の手前の通りで左折して東進。ホテルのある林森東路に出たのでそのまま北進した。
結構歩いたのでちょっと休憩。カラフルなかき氷屋さんに入る。出てきたかき氷は大型。トッピングも芋の団子や煮たピーナッツやあずきタピオカ。何とか食べきった。
そのまま北進、途中で李製製菓のパイナップルケーキを買う。現地の人がたくさん買いに来てた。ガイドブックでチェックしたお茶を買いに吉林路に行く。
「全省茶行」。坊主のロンパリ犬がお出迎え。凍頂烏龍茶を勧められて購入。300g1600元。春茶の残りだそう。オーナーの秋蘭さんは日本語が上手。日本にもお茶を卸している。
なぜか仏教の話になっていつのまにか外は暗くなった。また来るよと店をでた。

帰り道に足裏マッサージへ寄り道。30分700元。店内ガラガラですぐパワー型小姉に施術してもらった。気持よかった。やはり日本語が通じた。
途中、立派なパイナップルケーキのお店があったので冷やかし。またまた日本語でセールストーク。試食まで頂いた。美味しかったので一箱購入。大荷物。ホテルに帰った。

大分歩いたが、第2ラウンド、士林夜市に行こうと思ってたので、ちょっと休憩して22:30頃ホテルをでた。
秋蘭さんに夜市に行くと行ったら、0時までには帰るのよ?と言われたので、夜市も冷やかしかな。MRT圓山駅まで歩く。新設の交通網だ
ここでお目当ての台湾版ICカード(イージーカード)を係員窓口で購入デポ付き、1枚500元。日本と同じ方式で改札を通って、電車に乗る。
ホームには転落防止ゲートが設置中だった。来年の花博に備えたもの。月台から見えるスタジアムに大きな看板が掲げてある。

夜市のある剣潭駅まではMRTでひと駅。ホームを降りると結構日本語が聞こえる。屋台の群れの中へ突撃して歩く。若者が多くて、雰囲気的には夜の原宿。
食い倒れが目的だから、洋服等は無視。結構ファッション的出店が多い。食べ物屋台は固まってる感じ。
小さな食堂に入ってチーロウハンと肉団子スープを食べる。75元。職人風おじさんに美味しかったと告げてまた歩く。
タピオカココナッツを買う。30元。映画館があった。その前に食べ物屋台の群れ。廟があった。その前にも食べ物の群れ。大体このあたりで腐豆腐の匂いを嗅いだ。
生ごみの匂いと言うが、豆が腐った匂いっていう感じ。特大排骨50元、まんじゅう1個10元を3個野菜とか肉のやつをお土産に買う。ホテルで宴会しよう。

ここで油断が生じた。


つづく。

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台湾旅行記 はやぶさ突入音データ編 2日目後編

つづき


第一講演室に入ると職員さん数人がセッティングを始めていた。するとさっきの警備員さんがまたまた現れて、準備室の方に迎えてくれた。この部屋は控え室のようにもなっていてソファもある。
ホッとしてヤレヤレです。自分も三脚とビデオを取り出してセッティングを始める。バッテリーパックは90分しか持たない。講演会は2時間。リアルタイム編集をするしか無い。またまた準備不足。
カメラ位置をチェックしていると、ステージではプロジェクターが降りてきていて映像スタンバイが掛かっていた。自分もそれに合わせて画角調整。すると、突然ねこ蔵さんの声がスピーカーから聞こえた。
ねこ臓さんはTarcoolaで一緒にはやぶさを観測した方。JAXAクラブ編集者のM田氏の協力で、リエントリ衝撃音の部分を切り出した映像を先行してネット経由で送信していた、その現地での音声。
なんぞ?と見上げると、演台に白いジャケット姿の男性。天文館職員さんはランニング姿なのですぐ気がついた。マックノートを出してた。
ああ、もしやと思い、近づくとやはり阿部新助先生だった。あいさつと名刺交換。はじめまして。
写真で見た印象よりちょっと違ってた。それに若いなあ。先程のねこ蔵さんの声は?と聞いたら、今日の講演で使いたいとのこと。しかも高知工科大学の山本先生が録音したはやぶさ衝撃音の音声と合わせて。
勿論快諾しました。その際、いくつか画像を見せてもらったが、その中に山本先生の観測ポイントが印された地図があった!その図を見ると複数の地点に機器を設置していたが、
なるほど、タークーラで衝撃音を記録したビデオが役に立つ理由がわかった。
二人で準備室に戻り、改めて自己紹介。先生はこれから食事だって。コンビニのおにぎり。部屋を辞そうとすると、せっかく日本から来たんだから準備室を使っていいよ、と。
ラッキー。お客さん扱いされてしまった。その後天文館専属の通訳さんと打ち合わせ。今回の講演は英語で発表した内容を北京語に翻訳しながら進めていくとのこと。なるほど。
オーストラリア現地で観測した秋田さんと紹介された。職員さん達ともご挨拶。
講演室を見てると40人くらいお客さんが来ている。職員さんに床からカメラの電源を取ることの了解をもらって、バッテリーの件は一安心。講演準備の邪魔になるので準備室を出て座席に着く。

初見の資料満載の講演が終わると、先生は写真とサイン攻め。1階にあったポスターと同じものにサインをしていた。最後まで残っている人達はやはり、宇宙関係者か学生のようだった。
天文館職員の興味もあって、自分の周りにも人の輪ができる。下手な英語でTarcoolaでのはやぶさの様子を伝えた。やっぱりみんな目がキラキラしていた。
そばに日本語がわかる若い女性がいたのでちょっとムチャ振り通訳してもらった。
撤収を素早く終えて、これから先生と食事へ移動。自分の車(白のスイフト)で来てたようだ。自前なんだ。過去に(レベルが違うが)自分が講師をした時もそうだったし。
天文館の職員さんたちが見送りに来てくれた。と、さきの若い女性もいた。どうやら先生の関係者のようだった。失礼しました。
名前はBettyさん。台湾の人達はみんな英名をもらうらしい。Bettyさんは小学校の時アメリカ人先生に命名してもらったそうだ。日本に滞在経験のあるN◯◯現地社員。なるほど。

3人で天母という街に移動。ここは台湾のビバリーヒルズだそう。確かに街並みが整っている。人気の台湾家庭料理店を目指す。阿部先生とBettyさんのやり取りがリアルだ。
阿部先生はBettyさんに語学コーチをつけてもらってる様子。
店についた時は、店内はまだ空いていて、2階に通してもらった。この店はちょっと高いけど、いつも客でいっぱいになるそうだ。日本語のメニューもある。
3人で何食べようかと考えたが先生と自分は想像で注文する。それを聞いたBettyさんが注釈をつけてくれる。それを聞いた店員さんが色々アドバイスをくれる。なんだかワイワイと一気に注文した。
おみやげのウィスキー竹鶴をわたす。
くるくる回る大きなテーブルの付いた円卓を3人だけで独占しながら食べていたけど、あっという間に料理でいっぱいになった。ハオチ!

ここで、今回の渡航目的であった21分間のはやぶさ映像のデータ引渡しを行う。これで任務完了。
それから色々、Tarcoolaでのはやぶさ観測時の事や、はやぶさ2の事を話した。今、阿部先生の部屋には招かざる客がいるそうだ。Bettyさんを話からおいてけぼりにした。申し訳ない。
阿部先生の声も自分の声も人混みの中では通りにくい。店はドンドン混んできて、隣の部屋では宴会が始まりそろそろ出ようかということになった。
ずばっと割り勘にして、ごちそうさま。心残りなのは先生が運転手なので酒盛りが出来なかったこと。
車のところに戻る。有料駐車場。誘導係りのおじいさんがめんどくさい方での気さくな方。帰りも先生がホテルまで送ってくれた。
お礼に最初に買っておいた「とらや」の和菓子をBettyさんに差し上げた。喜んでくれた。
部屋でお茶でも、とお誘いしたが、駐車場が近くにないこと、先生は夕べ徹夜したことがあって、ここでお別れしました。
先生おすすめの台湾観光地は温泉とマッサージと夜市。士林夜市は帰り車の通り道だったので実際に見れた。明日行こう。

部屋に戻って時間は夜の9時頃。直ぐに電話が鳴り、リネン関係はどうしますか?とのこと。遠慮したのだが、すぐ部屋に持ってきてくれた。いいホテル。
また、近所に出かけようと思ってたけど、つい眠り込んだ。3時間ほどして目が覚めて、全く中途半端。
観光情報をネットから調べていたら出かける余裕がなくなって、もう明日に備えるしか無い。
風呂に入ってドアにどんとでぃすたーぶの札をかけて、明け方頃寝た。

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種子島旅行記 H-ⅡA 18号機打ち上げ編  初日

種子島旅行初日(平成22年9月10日)


やっぱり寝ないで、朝。9:15にJAL羽田発鹿児島空港。
空港までリムジンバスかモノレールで行くのが普通だけど、12日に台湾へトンボ帰り旅行、乗り継ぎが厳しいので
バイクで空港に向かう。すると約40分でドアツードア。
天気は神頼み。
いつに無い軽装でバイクに乗る。荷物があるのでアドレス110。
8:50空港着。Eチケットだからあっという間に搭乗。ただし、搭乗口が遠い~。てくてく歩きまくり。
A320でそして飛びました。揺れずに快適。

鹿児島空港着。
リムジンバス1200円(高!)で鹿児島市内へ。終点の鹿児島中央駅着。
しろくまGET。さつま揚げGET。かるかんGET。これらは車中泊用食料。
のんびりと種子島行のフェリー乗り場行きバスを待つ。
バスに乗って感じたこと。鹿児島中央駅周辺は信号がやたら多い。ひと門毎に赤信号
そして、バスもやたら多い。うじゃうじゃ走ってる。そしてそのどれも揺れる揺れる、随分使い込まれていた。
フェリー乗り場につく。また40分ほど待つ。桜島が真正面。往復分のチケットを買う。

高速フェリーは初乗船。席が選べた。ロケット号で南埠頭を出発。
船内はとても綺麗。クーラー完備大画面薄型テレビでNHKニュース。
乗客はスーツ姿か、ロケット目当ての青年だらけ。みんな雰囲気が似てる(笑)。
エンジンが点火した。ヒュィーン…とジェットエンジン音が船内に響き渡った。かっこいい。
走りだして驚いたのは、とても静かで乗り心地が良い。海が凪いでいたのもあるけどついうとうとして気持よく眠り込んだ。
40ノットで航行、約90分ほどで西之表港に到着。そこでいつものように歩いて宿を目指す。数キロ程度なら乗り物を使わない。

海沿いの道を歩く。暑い。ロケットのオブジェがあちこちにある。さすが種子島。
クマゼミやニンニンゼミが泣いている。10年ぶりくらいにクマゼミの鳴き声を聞いた。
橋の途中でカマキリの死骸を見た。お腹を踏まれていたのだが、しばらく息があったようで、釜を構えたままの姿で事切れていた。
コンクリートの橋の上でそのままにするのも忍びないので、草群に置いてあげた。これも縁。

20分ほど歩いてビジネスイン種子島に到着。裏口から入る(笑)。
チェックイン。10日のみの宿泊。翌日は手配したレンタカーで車中泊の予定、だが、ふとフロントに聞いてみた。
なんと、このほホテルには大部屋があり、雑魚寝で良ければ安く泊まれるとのこと。いい情報をGET。
部屋に上がる。和室で素朴だが居心地のよい部屋。液晶テレビだが、カード式なのが趣がある。

早速ご飯を食べに出掛ける。今日はホテルの食堂はお休み。今日は何も食べてない。
フロントで2軒隣の「我家」というレストランを教えてもらった。
時刻は17:30。お店はまだ開いていなかった。ハラヘリ。近所にはおしゃれなお店やカブ屋(バイク屋)はあるけど、食べられる場所はなさそう。
いやあるんだけど、コンビニっていうのは。ちなみに隣のガソリンスタンドはレギュラー158円だった。
「我家」の電気は点いていた。昼休憩かな。しょうが無いのでホテルのロビーに戻って夜開店を待つことにした。
隣の花屋の自販機でファンタオレンジを買う。なぜかホワイトファンタが出てきた。早速、洗礼(笑)。
ホテルのフロントでBS水戸黄門を観ながら時間つぶし、フロント脇で有線LANが無料で使えるみたい。

18:30になったので、いざリベンジ。開いてたー。
ガッツリ食べたかったが、居酒屋のようなメニュー。レストラン風だったので食い気満々だったのに。困った。
まあ、なるべく地元にお金を落としていこうと思っていたので、まずは生ビールとトビウオの干物を注文。
オープンキッチンの中でお母さんたちが調理しているけど、とても静か。干物焼けてるのかな?
そのうち静かにトビウオ干物が出てきた。旨い。やっぱりトビウオは美味しいな。ちなみにトビウオも相当種類があるらしい。
追加で豚のしょうが焼き定食。今度はキッチンに活気が出てきた(笑)。
出てきたのは、付け合せが豪華な定食。ワカサギの南蛮漬けとかシラタキの煮物とか。小鉢が4種類も
あー、満足。また一気に食べ過ぎた。

部屋でのびる。静かだ。いつものパターンだと、寝落ち必死だが、ここは堪えた。大浴場に行く元気はないので部屋のユニットバスのシャワーを浴びる。
そして、このあとの記憶がない。いつだったか、るみさんからメールが来て、情報収集。
るみさんは明日の打ち上げに関連してカウントダウンアナウンスをするとのこと。すごい、大役だ。さすがだなあ。
そうそう、M田氏に大事な事伝えていなかった。頑張って、これから電話することにした。

ホテルの2Fに洗濯室があるとのことだったが、館内ウロウロして見つからず。洗濯物を抱えて近所のコインランドリーに突撃。
外は南国の空気。コインランドリーにはテレビが備え付けてあった。ここぞとばかり、しろくまを下げていって洗い待ち。洗濯400円(洗剤費込)なり。
テレビを観ながらしろくまを食べる。溶けかけで丁度食べごろ。足元には八手、壁には明茶の大型G。まあこちらに向かってこないので気にしない。
Gは子供時代に住んでた沖縄でもっと酷い事されてたのでこの程度なんともない。
そして、M田氏に電話をかけた。結論から言えば、M田氏は汲んでくれた。良かった。曰く、そうじゃないかと思っていたそうだ。
コレで肩の荷が降りた。るみさんもほっとしたみたい。M田氏は明日の絹学会のあと、JAXAiにカウントダウン見物で行くそうだから、このタイミングでよかった。
そして0:00回り、洗濯上がり。快晴の星空の下、木星を見ながら虫の鳴く種子島の夜道を宿に向かって歩いた。

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台湾旅行記 はやぶさ突入音データ編 初日

台湾初日(平成22年8月21日)


サウスオーストラリア州WPA内Tarcoolaではやぶさ帰還を録画した約21分間の映像にはやぶさリエントリ衝撃音が記録されていた。
そのデータを分析してもらうために台湾国立中央大学の阿部新助教授に会うため(半分観光)に旅に出ることにした。初台湾。

新型スカイライナーで成田空港着、阿部氏におみやげを買う。度々帰国してるみたいだけど、礼儀ですね。
「とらや」の菓子折りを買ったあとに、ニッカウヰスキー「竹鶴」が目に入ってそっちも買った。
Chinaairに搭乗し離陸、台湾上空まで順調。桃園空港のアプローチに入った途端、飛行不安定になる。
ちょちょこ進路修正、随分手前から高度を下げ始める。フカしたり水平飛行したりしたあとフラップ下げたり。
天候が良かったから、コパイに操縦させてたのかな。
無事着陸してターミナルを歩いてたら、通路で若いパイロットが独りでキャリー引いて歩いてた。

初めての空港を勘で歩く。入国審査は問題なし。両替を空港内の銀行でする。台湾はその方がレートが良いそうだ。
4万円出したら全部1000元札で寄越した。両替求めたら500元が4枚だけ。まあいいや。
日本との時差は-1時間。
把士(バス)の字を見つけて歩く。タクシーには乗らない。海外旅行でタクシーでボられなかったのはドイツの時くらい。
目当ての犬印バス会社が無かった。なぜ? 
仕方ないので「行天宮」行きのあるバスに飛び乗った。停留所は同じだったから、社名変更したのかな?
バスの運ちゃんは初老のおじさん。運転中だけど行き先を確認したら、快く「好」と答えてくれた。しかし、その後高速道路でファミリーカーとカーチェイス。

「行天宮」でバスを降りる。タクシーの客引きには応じない。ウーメラでも使用したGPS地図が準備できなかったので、勘でホテルを目指す。歩道はバリアフリー化を全くしていない。
大体1キロあまり歩く。暑い。汗だく。南国だな。北に進むと自動車整備工場街に入る。普通に二階建てバスが歩道に乗り上げて路駐している。
交差点を西に曲がる。いよいよごちゃごちゃしてきた。しかし、バイク整備工場も軒を連ねて楽しめた。YAMAHAのSDRなんかあった。ちなみにこっちはスクーター天国。
憲兵司令部のそばに投宿。歐華酒店(リビエラホテル)。最後の横断歩道を渡ろうとしたら、信号がない。大通り同士のT字路で、どう見ても勝手に渡って無事に済みそうにない。暑い。
面倒だけど信号がある方へ迂回する。ホテル側から振り返ると道路のこっち側からは見える信号があった。なんじゃそりゃ。
ホテルに着く。ドアマンはいなかった。凸。すぐ右にコンシェルジュデスク。一直線にチェックイン。
いきなり日本語で話してみた。おばさんコンシェの方が日本語OKだった。普通に世間話する。
5階の部屋へ。吹き抜けフロアが素敵。今回の部屋はジュニアスイート。オフィススペースがあるすごすぎる部屋。DVDプレイヤー付き大型液晶テレビ2台。アメニティー充実。
窓の真正面に圓山大飯店と憲兵司令部、その上空を松山空港にアプローチする航空機。空は綺麗な夕暮れ。
ウェルカムドリンクを飲みに店に行く体力がない。大きなソファーに腰を落としてしばらく目を瞑る。

時計は8時。お腹が空いたにゃー。
ネットが使えるのでホテル周辺を調査、近所に丸林なる食堂がルーロウハン(豚肉かけご飯)で有名だそう。
現地時間20:30、1000元札と500元札を持って行ってみる。見つからない。近所を4周くらいして諦めて、その辺の仔麺屋に入ることにした。
小札がないのでセブンイレブンで台湾ビールとミネラルウォーターを買う。安い。この街は異常なほどセブンとファミマだらけ。
「ライウォンリー!」店員は真面目で機械のようなあいさつ。対不起と言って1000元札出した。ここでもお礼は日本語で話してみる。両替ミッション完了。
小札を作ってから仔麺屋へ凸。路上にテーブルがある。メニューの板に肉と麺の字がある食べ物を指さして注文。大盛りにする。すると、店内に座りなよ、と通してくれた。
仕切りをくぐると殺風景な店内、白い壁と高い天井と食堂テーブルと大きな扇風機。先客のお母さんと子ども達が食事していた。ご飯はすぐ出てきた。これは挽き肉麺だな。正解だった。
味は薄い、麺はいっぱい、でも美味しい。先客が帰ったあと、4人家族が入ってきて賑やかになった。
麺だけでは足らないので、適当に一品追加。ホルモンを生姜で煮たスープ。しまった、汁物が続いたな…。熱くて暑い。4人家族は伝票書いてまとめて注文してた。
食べ終わって出口に向かおうとすると店主が気がついてくれた。95元。100元札渡すと返す手で5元のコイン。注文の時といい手際がいいなあ。
下を見るとさっきのお父さんが持ってた注文伝票がいくつか置いてあった。店主に「もしかしてコレに書くんだった?」と聞いたら、やはりそうだった。そして、見本に一枚くれた。
無表情だけど親切だなあ。お礼を云って宿にもどる。

今度はドアマン登場。ピアノの生演奏。外と中とは別世界。
テレビは日本の話題が沢山。台湾のタレントが那須塩原でレクしていた。パソコン開いて、関係方面に最低限の連絡をとって、QP飲んでダウンした。時間は覚えていない。
もちろん風呂には入ったよ。お湯の出に大変満足。

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HN:
kia
性別:
非公開
趣味:
バイク、旅行、頑張っている人を応援すること。
自己紹介:
[03/24 ねこ蔵]
[03/08 管理人さん]
[03/08 ねこ蔵]
[10/18 るるる]
[10/16 管理人さん]